神田明神で開かれている明神塾の3回目。
江戸をテーマに、毎回違う講師が、違う切り口で講演する。 今回のテーマは「江戸の笑いとエスプリ」。 講師は芥川賞作家で慶大教授の荻野アンナさん。 荻野アンナさんはフランス文学が専攻で(特にラブレー)、趣味はなんと落語だそうだ。 フランス文学と江戸の笑いがどこでどう繋がるのか? 江戸の笑いといえば落語。庶民の娯楽だ。 江戸落語の話には後日談が一切出てこない。ストンと落として、おしまい。 えっ?!それでどうなったの? は説明しないのだ。 フランス文学のエスプリも同じ類のようだ。 人間はみな死ぬ。そして人間はみな阿呆。これが話の根底にあるそうだ。 愛すべきアホ、ずる賢いアホ、踊るアホ、見るアホ、etc そして、得てしてアホが一番正しい判断を下すのだ。 ここで、ラブレー著の第三之書から引用された話を短くご紹介。 パリの焼肉屋の外で、肉を焼く匂いをかぎながらパンを食べていた荷担人足が、 亭主から煙代と称して代金を要求される。 もちろん、煙代など聞いたこともないと突っぱねるが、亭主は後に引かない。 その喧嘩を収めたのが阿呆殿様ジョアンというお方。 荷担人足に銀貨を一枚出させると、それを台の上でちゃりんちゃりんと音を鳴らし、 「煙代には貨幣の音響をもって支払ったこととする」と裁断を下した。(パチパチパチ) これと全く同じ話が遠く日本の江戸落語にもあるそうだ。 場所が鰻屋に変わるだけ。お国や民族が違っても、同じようなことを考えるんだねー。 「江戸の人々は、人生は物見遊山だと思っていた。せいぜい楽しんで、見聞を広めて、友達を増やして、死んでいけばよい。」(杉浦日向子さんの著書より) 江戸っ子は逆境も笑い飛ばして楽しく過ごす工夫をした。 めげたり凹んだりは粋ではなかったのだ。 江戸落語は唐突に話が終わる。 それまでの苦労が水の泡だったり、これからこの人はどうするの?的なことは 想像の中で人それぞれの結末で良いのだ。それを聞くのは野暮というものだろう。 「はっはぁー、そりゃおもしれぇや。」でオワリ。 江戸っ子は楽しいこと、面白いことを探し出す天才集団だったのかもしれない。 ■
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by sakurako_h
| 2006-06-09 00:57
| えとせとら
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